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Channel: AOR超人の独り言~名曲とオヤジギャグこそ我が人生~
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ELTON JOHN「DON'T LET THE SUN GO DOWN ON ME」

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世の中に多数存在する「洋楽の邦題」
その中には
「おや?なんでこうなった・・・?」とたくらみに満ちているのに苦笑せざるを得ない
トホホな邦題もたくさんあるにひひ
そんな愛すべき邦題を取り上げるコーナードキドキ
「素晴らしきトホホ邦題の世界」


今回取り上げるのは、昨日も取り上げた
エルトン・ジョンの「Don't let the sun go down on me」である音譜



同性婚しちゃうような趣味を持つ、
イギリスの国民的シンガーソングライター(←なんとなく失礼な言い草)、エルトン・ジョン。
エルトンさんが書き歌った曲は本国イギリスばかりでなく
アメリカでも大いに受け入れられ、「Crocodile rock」「Bennie and the Jets」
「Philadelphia freedom」「Don't go breaking my heart」など
多くのナンバーワンヒットになった。

なんといっても圧巻は1971年の「Your song」から1998年の「Written in the stars」まで
30年連続ビルボードトップ40にチャートインという記録であろうΣ(゚д゚;)
これだけの期間、毎年トップ40ヒットを放ち続けるというのは
今では考えられない記録である。
また、グラミー賞も何度も受賞しているクラッカー

「Don't let the sun go down on me」は、
1974年のアルバム「Caribou」からのファースト・シングルで、
全米チャート2位、全英チャート16位とやっぱり両国でヒットした1曲である。

そして・・・
1991年には、ジョージ・マイケルとのデュエットのライブ・バージョンが
シングルとして再リリースされ、全米・全英両チャートで1位を獲得するという
オリジナル以上の大ヒットとなったのは昨日取り上げた通りだ馬



おお~!なんともポピュラーミュージック的風格のある名曲ですなぁ~ラブラブ!
作詞作曲はエルトンとバーニー・タウピンの黄金コンビ!
そして楽曲の脇を固めるのは・・・
ビーチ・ボーイズのカール・ウィルソンとブルース・ジョンストン、キャプテン&テニールのトニ・テニールなどなど・・・
ヒットすべくしてヒットした1曲なのであるキスマーク

しかし、この曲の邦題は・・・
「僕の瞳に小さな太陽」という晴れ



なんだかツッコミどころしかないシングル・ジャケットですな!

白いジャケットに色メガネに・・・は、羽根?
そして・・・頭髪はかなりキテいますなぁ~にひひ

当時からエルトンさんはこのようなスタイルをよくしていたのだが・・・
エルトンさんにとっての憧れのスター、
エルビス・プレスリーをモチーフにした衣装だと思われる。

に、似あわね~ブタ


ともかく!
「僕の瞳に小さな太陽」なんてこの姿と顔で言われたら引いてしまいそうな感じ
これだけ聞くとサンライズ的な希望に溢れた曲のように思えるのだが・・・
実は歌詞の内容は、「太陽を沈ませないでくれ」と彼女が去っていく寂しさを歌う、
サンセット的な悲しい歌なんであるブタ

「僕の瞳に小さな太陽」という言葉自体は悪くない。
「瞳」とか勝手に追加されているが、むしろ美しい邦題だ飛行機

しかし、まさしく日本語の美しさゆえに
真逆の意味に捉えられかねなくなってしまった、という
名トホホ邦題なのであるクマ

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MOONPIE「CAN'T HIDE LOVE」

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世の中にあまり認知されていないマニアックなレコードを取り上げて、
いつかCD化されることを夢見るコーナー(のグループ編)ドキドキ
「AORマニアックグループさん★」



本日取り上げるマニアックな1枚は、
ムーンパイの「Moonpie」である音譜



うわ~なんじゃこれ~ブタ

ロ、ロッテのチョコパイ?
それとも、森永のエンゼル・パイ?
少しだけかじられて、三日月みたいになってる~お月様
そしてお空に浮かんでる~三日月

って、不思議すぎるジャケが印象的な1枚であるが・・・
まぁ、誰も知らないであろうマイナーすぎるアルバムであるクマ

ちなみにムーンパイというのは、2枚の丸いグラハム・クッキーの間にマシュマロを挟んで、
周りをチョコなどでコーティングしたアメリカ生まれの菓子である。
ロッテのチョコパイは間にクリームが挟まっているし、
森永のチョコパイもソフトケーキで挟まれてるし・・・
日本のお菓子は類似品であるということか?

まぁ、いい。
どっちも美味しいことに変わりないのである晴れ


さて、こちらのムーンパイは、テネシー州ナシュビルで結成された
白人黒人、男女混合の8人組ファンク・バンドである。
ほとんどのメンバーがボーカルもとり、
ブラスの音も取り入れたファンカ・ソウルを得意としていたようだ。

アルバムとしてはこれ1枚しか確認出来ていないし、
ヒットチャートにも出てこないので、
恐らくバンドとしてはこれっきりだったと思われるが・・・
アルバム「Moonpie」は、ペンシルバニア州ランカスターのLanark Recordsというレーベルから
1977年にリリースされたものであるドキドキ

ところが、この内容がぶっ飛ぶくらいにカッコ良かったりするラブラブ!
オリジナル楽曲もやっているが、秀逸なのはカバー曲の数々で、
タワー・オブ・パワーの1975年のファンク曲「Ebony jam」、
なんとなんとスティービー・ワンダーの1972年のヒット「You are the sunshine of my life」を
サンバ調にアレンジした「Sunshine of my life」、
ザ・ブラザース・ジョンストンの1976年のヒットで、
後にクインシー・ジョーンズもアルバムで取り上げた「I'll be good to you」などなど
驚きのカバーの連続だ!

そして・・・なんといっても注目なのは・・・
クリエイティブ・ソースが原曲なのに、
アース・ウィンド&ファイヤが1976年に全米チャート39位とヒットさせたことで
あたかもアースの曲のように思われている名曲
「Can't hide love」までもをカバーしていることである!



う~ん、割とアース版に忠実なカバーであるが、
なんともメロウな感じに仕上がっておりますなぁ~ラブラブ!

この曲は、ナンシー・ウィルソンやジェイ・P・モーガン、
ディオンヌ・ワーウィック、ハミングバード、パティ・ラベルなどにカバーされ、
AOR系のアーティストにも人気が高い1曲である晴れ

さて、こんなカバー曲が秀逸な1枚も
ほとんど注目を浴びることなく歴史の中で埋もれてしまっているガーン
こんなもったいない話・・・早々とCD化してもらうしかないだろうわんわん
レーベルもまだ現存している模様!
早く誰か何とかしてもらいたいものであるにひひ

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DWIGHT TWILLEY「TOUCHIN' THE WIND」

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ヒット曲を放つことは放ったが、その後が続かずに
「一発屋」という妙なレッテルを貼られる悲しいアーティストたち・・・
数多い一発屋さんの中でも、
ちょっと変わった悲しみを背負うアーティストを取り上げる
「悲しき一発屋さん」


今回取り上げるのはドワイト・トゥイリーである音譜



ドワイト・トゥイリーは、オクラホマ出身の
シンガーソングライターでマルチ・ミュージシャンある。

もともと、ドラマーのフィル・セイモアと共に
オイスターというチームを1967年に結成。
曲を書いたりレコーディングしたり活動を始めたのだった。
ちなみにこの2人はビートルズの映画を観に行って出会い、
意気投合して手を組むことになったのだとというにひひ

そしてロスに渡ってレオン・ラッセルのレーベルShelter recordsと契約。
1974年にザ・ドワイト・トゥイリー・バンドと名前を変えて
シングル「I'm on fire」をリリース
これが全米チャート16位のヒットを記録するのだったクラッカー

・・・しかし、この2人、結局それぞれソロ活動していくことになるのだが、
本国ではこのバンドは
「I'm on fire」限りの一発屋として扱われているブタ

この後リリースしたアルバム「Sincerely」は全米チャート138位の惨敗ガーン
1977年にはレーベルを変えて「Twilley don't mind」をリリースするも
またもやチャートを駆け上がることは出来ず、
翌年セイモアはバンドを離れてしまうのだショック!

・・・バンドはそんな悲しい運命をたどってしまうのだが、
ドワイトさんはくじけなかった!Σ(゚д゚;)

ドワイト・トゥイリーとしてソロに転身して
1979年にはアルバム「Twilley」で再デビュークラッカー
しかし、このアルバムも全米チャート113位とパッとせず、
このまま消えていくかと思われたが・・・
1984年にはシングル「Girls」が全米チャート16位と起死回生のヒット!
そのままヒット街道に戻ってくるのかと思ったら・・・
次のアルバム「Wild dogs」がレーベルのゴタゴタもあって大コケショック!

ソロとしては
「Girls」限りの一発屋として扱われる事になったのであるブタ

・・・バンドとしてもソロとしても「一発屋」と呼ばれる、という
悲しい運命をたどってしまったドワイトさんクマ
足し算したら「二発屋」なので、まだマシだ!
という見方もできるのだが・・・わんわん


しかし曲のほうはハードロックに近い感じながら、
ウエストコースト調のメロウ・フィーリングイッパイの曲も出していたのだった!
特に1982年に全米チャート106位になったソロ・アルバム「Scuba divers」の1曲
「Touchin' the wind」なんかは、
潮風を感じてしまうくらいの爽やか系ロックなのである飛行機



おお!なんとも乾いた感じガステキなAORではないか!
夏の暑い日にこの曲を流しながら海岸線を走ると
これまた爽快だろうなぁ~車
まさに、風を感じるような大名曲なのであるラブラブ!

・・・まぁしかし、この曲
チャート的にはじぇんじぇんヒットしなかったわけだからモッタイナイ・・・
こういう曲にスポットライトが当たらなかったのも
悲しき一発屋さんといわれるゆえんであるぶーぶー

それでも不屈の闘魂をもつドワイトさん、
1990年代もリイシュー盤や未発表曲集を出したり・・・
なんと2000年代にもビートルズのカバー・アルバム(!)や
新作もリリースしているΣ(・ω・ノ)ノ!

「悲しき一発屋」と思っているのは周囲だけで、
案外本人は自分のペースで好きにやっているのかもしれない・・・にひひ

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MAZE feat.FRANKIE BEVERLY「SILKY SOUL」

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夏休みももうすぐ終わり・・・なのだが、
今年の夏休み、息子ちんは
いつもよりたくさん映画を観に行った気がする映画

息子ちんが8月に映画館で観た映画といえば、
「ワンピース」「シン・ゴジラ」「ファインディング・ドリー」「ゴーストバスターズ」の4本である。
1か月で観た映画の本数で言えば過去最高だろう。

息子ちんにとっては、人生初の
「友達だけで映画館に映画を観に行く」を体験した夏でもあった走る人
もう息子ちんも中学2年生である。
「ワンピース」と「ファインディング・ドリー」は友達と待ち合わせして
隣町の大型シネコンまで自転車で走っていった。
親が連れて行ってあげなくても自分たちだけでどこへでも行ってしまうのだなぁ~
と少し感傷にふけったり・・・にひひ
まぁ、むしゅめちゃんも友達とディズニーランドに行ったことだし、
2人の子供がスクスクと成長していることに感謝することにしようラブラブ


中でも息子ちんが印象に残った作品と言えば「シン・ゴジラ」らしいえっ



えらく評判が良いこの作品・・・
今までの「ゴジラ」と何が違うのかと調べてみたら、
「シン・ゴジラ」の「シン」は、新・真・神・進・侵などを表しているらしい晴れ

Dannaは「ゴジラ対キングコング」とかの世代なのだが、
特に子供時代にゴジラに熱狂したわけでもなく、興味がない上に
時間がとれないことから観てないのだが・・・
なぜか普段映画を全然観ない妻っちんが興味を示し、
息子ちんと2人で観に行ったというね!

これが強烈に面白かったらしく、
パンフレットやらノートやらを買い込んできて、
息子ちんは「シン・ゴジラ、シン・ゴジラ」と家の中でもうるさいのであるブタ


もう、そんなに「シン・ゴジラ」好きな息子ちんにはこの曲を贈ろう
メイズの「Silky soul」である音譜



メイズは、リード・シンガーであるフランキー・ビバリーを中心に
サンフランシスコで結成されたソウル・バンドである。
「Maze featuring Frankie Bevery」と表記されることが多く、
いかにフランキーさんの存在が大きいかがうかがえる。

もともと、フランキーさんが1970年にフィラデルフィアでロウ・ソウルと言うバンドを結成し、
マイナーのレコード会社と契約してシングル・デビューを果たすも全く売れなかった。
そこで翌1971年に、メンバーを入れ替えて活動の拠点をサンフランシスコに移す。
そこで、彼らは運命的な出会いを果たすのだったクラッカー

マーヴィン・ゲイとの出会いであるラブラブ!

マービン・ゲイは彼らの才能を見込んでおり、
自身のツアーの前座に抜擢。
ロウ・ソウルはマーヴィン・ゲイとツアーをするという幸運に恵まれ、成功を収めたのだった!

そして1976年にマーヴィンの提案によって、
ロウ・ソウルと言うバンド名を、メイズに変更キスマーク
同年にキャピトル・レコードと契約して、1977年にアルバム
「Maze Featuring Frankie Beverly」をリリースしてデビューしたのだった。
このアルバムは全米チャート52位、R&Bチャート6位とヒット
ソウル界で確固たる地位を築きあげ、その後8枚のアルバムを残して現在も活動中である。

日本では知名度はイマイチなのだが、
クワイエット・ストーム関連の名曲や、フリーソウル方面の名曲も多い
Danna超お気に入りバンドの一つであるラブラブ!

「Silky soul」は、メイズが1989年にリリースした
7枚目のアルバム「Silky soul」のタイトル・トラックである。
シングルにもなってR&Bチャートで4位を記録した。



むほ~!サウンドがメロウ!メロディーがウットリ!
そして歌声が・・・これぞシルキー・ボイス!
シルキーと言えば、アメリカのサブちゃんアイズレーとかを思い出すのだが・・・
この曲で「Silky,silky soul singer」と歌われているのは、
もちろん恩人マーヴィン・ゲイであるドキドキ

マーヴィン・ゲイに捧げられたこの曲、
歌の内容はもちろん、曲の雰囲気や歌い方までマーヴィン・ゲイにそっくりだ!
また、イントロと中間部のハーモニー部分なんか、
マーヴィン・ゲイの「What's goin' on」にそっくり!
上手に素敵にリスペクトを表した好例の名曲なのである音譜


そしてこの曲のサビ、1分58秒くらいからの
「Silky,silky soul singer」という部分をぜひ聴いてもらいたい!

「好き 好き そう~
シンが~」


おおお!
「シン」が好きだなんて~!ブタ
マーヴィンの応援歌であるとともに、
「シン・ゴジラ」の応援歌にもなっているではないか!(←なわけない)クマ

というわけで、この曲は
かつての栄光にリスペクトし、さらに新しい時代にあうものを模索していこうという
気概あふれる温故知新な1曲なのであるドキドキ

ああ、やっぱりシン・ゴジラ観るべきなのかな・・・?

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SWIRL 360「HEY NOW NOW」

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最近、Dannaの屁の出方が異常である・・・(・Θ・;)

以前もお伝えしたように、
とにかく家族の前でプッスカこきまくってしまう迷惑なお茶目なDanna(;´▽`A``
匂いのほうは相当強烈で、
家族の皆に恐れられていたりするぶーぶー

それでもなるべく隠密にコトを済ませたいのが
46歳の乙女心おっさん心ドキドキ

出そうになると、いつも咳払いをしたり、
「あっ!」とか「はいっ!」とか大声を出して誤魔化そうとするのだが・・・
むしゅめちゃんと息子ちんには「今、屁~こきましたね?」と
すぐ見すかれてしまい、全く通用しないのであるガックリ

問題はタイミングである(゜д゜;)

自分ではタイミングよく「プッ」という音にかぶせて大声を出しているつもりなのだが、
やはり人間の声とお尻から発せられる爆発音は質感が違うようで・・・
うまく誤魔化せないんである(←46歳の切実な悩み)ブタ


・・・こうなったらまたしても開き直るしかないよね!(←最近恒例の手段

よし!これからは隠す事をせず、
スウォール360ばりに「屁意! ナウ!ナウ!」
・・・いや間違えた「Hey now now」と叫びながらブッ放すことにしよう音譜



スウォール360は、フロリダ州ジャクソンヴィル出身の双子ちゃん、
デニーとケニーのスコット兄弟によって結成されたポップ~ロック・バンドである。

1996年に「フールズ・オブ・フェイス」としてデモテープ作りを始めた彼らは
ハンソンやデイブ・マシューズのマネージメントを受け持っていたクリストファー・サベックに出会い、
マーキュリーと契約することに成功する。
その際にスウォール360とバンド名も変更するのだったクラッカー

1998年にはアルバム「Ask anybody」でデビュー。
「Hey now now」はそのアルバムからのファースト・シングルで
ラジオ・チャートを中心に全世界でヒットしたのだった。



うおー!なんとも元気溢れるダンス・ポップ!
これ、夏に聴くと本当に気分が高揚するんだよなぁ~アップ
乾いた音とアゲアゲなメロディーが気持ち良いパーティーソングだ!

このアルバムも結構出来がよく、次のシングル「Candy in the sun」もヒットしたのだが・・・
レーベルのゴタゴタに巻き込まれるような形で、
プロモーションも十分に行われずにアルバムは埋もれていってしまい、
いきおい彼らの活動も停滞してしまった、
という悲運のグループであるガーン

しかし、2007年には4人組の「エコージェット」として再スタート!
シングルをリリースしたが・・・
2014年にはジャクソンヴィルに戻り、「ロック・ペーパー・ピストルズ」として
また新しいスタートを切っているようである。



さて・・・そんなわけで開き直ることにしたDannaであるが・・・

とか言いながら、やっぱり隠せるものなら
出来るだけわからなくしたいのが乙女心おっさん心(←この記事2度目の登場)ブタ
肝心なのは「Hey now now」の「Hey」と「プッ」を同時に発することだな(ノ´▽`)ノ
さぁ、その練習にはげもうか・・・σ(^_^;)


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LESLEY GORE「LOVE ME BY NAME」

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どう考えても、陽に当たらないような
未CD化のマニアックなレコードを紹介していたら
もしかしてCDになっちゃうかも!
と淡い期待でお送りするコーナーの女性アーティスト編ドキドキ
「AORマニアックNano代ちゃん♪」


今回登場するマニアックNano代(なのよ)ちゃんな1枚は、
レスリー・ゴーアの「Love me by name」である音譜



うわ!なんだ?このジャケ・・・
大事な所が見えちゃって・・・ないぞ!
すんでのところで修正がかかってて、見えているようで見えてないぞ!

なんたるマジック!ブタ


こんなドッキリ・ジャケなアルバムをリリースしたレスリー・ゴーアは
ニューヨーク・ブルックリン出身のシンガーソングライター、女優で活動家である晴れ
「ガールズ・ポップの王道」ともいえる音楽でヒットを量産し、
コニー・フランシスらとともにオールディーズを語る時には
必ず名前が出てくる女性シンガーである。

彼女の名前が世界中に知られているのは・・・
なんといっても1963年に16歳の時に放った
デビュー曲にして全米ナンバーワン・ヒット
「It's my party」(邦題:涙のバースデー・パーティー)によって、であろうラブラブ!
この曲はグラミー賞にもノミネートされて、人気を集めたのだった。

そしてもう一つ・・・
この曲は、御大クインシー・ジョーンズが駆け出しの頃、
プロデューサーとして初めてヒットさせた記念すべきものなのであったラブラブ
今なおオールディーズ・クラシックとして有名な1曲である。

その後も「Judy's turn to cry」が全米チャート5位、
1964年に「You don't own me」が2位と大ヒットを連発し、
また活躍の場をテレビ出演も多数こなして
アイドル的人気を誇ったのであった。

ただし、その人気もただルックスの良さとキッチュな歌声だけにあったのではない。
プロデューサー陣にクインシー・ジョーンズやボブ・クルーらが手を貸し、
プロダクション的に非常に恵まれていて
音楽的な評価も高いレベルをキープしていたのだったクラッカー

1960年後半からは音楽活動よりもテレビの露出が多くなった彼女だったが・・・
1976年にリリースされた11枚目のアルバムが「Love me by name」であったドキドキ
時代はソフト&メロウの波が押し寄せられ、
AORの息吹が感じられはじめていた頃。
しかも、レーベルはA&Mである!

プロデューサーに再びクインシー・ジョーンズが関わり、
シングルにもなった「Sometimes」にはブラザーズ・ジョンストンが、
「Along The way」にはハーモニカでトゥーツ・シールマンスが参加するなど
クインシー人脈勢揃いの豪華なプロダクションものに仕上がっていたのだったキスマーク

このポピュラー感・・・まさしく手触りはプレAOR!

シングルには往年のゴールデン・ポップス調の「Immortality」が選ばれたのだが、
セールス的には全く売れず・・・
しかし、表題作の「Love me by name」など
肩の力を抜いた曲に聴きどころが多い1枚なのであるにひひ



おお~なんとも大作感溢れる、というか・・・
胸に染み渡るポピュラーな魅力が詰まった1曲だニコニコ
クインシーのアレンジが効いている。

当時20代のレスリーさん。この後は作曲家としても活動していくのだが・・・
このアルバムは、アイドル時代を経験して音楽的にもシンガーとして一皮むけていく過程が感じられる
埋もれさせてはならない作品だ!

レスリーさんも、2015年2月に肺がんで亡くなってしまった。
追悼として、過去のアルバムの再リリースもされたようであるが、
このアルバムはいまだCD化されていないのであるガーン

世界を虜にしたレスリーさんの、ポピュラーでAORな雰囲気を感じられるこの作品・・・
ぜひCD化してもらって、
ドッキリなジャケとともに鑑賞したいものなのであるクマ

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OPUS Ⅲ「IT'S A FINE DAY」

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今のようにネット環境などなく・・・
無料で自在に検索して好きな時に好きな音を聴くことなど夢のまた夢で、
音楽の情報に飢えていたあの頃・・・

メインとなる音楽情報源は、時代によって移り変わっていったが・・・
Dannaの場合は
小学生~高校生時代 → TV「ベストヒットUSA」
大学生時代 → TV「ビルボードTOP40」
社会人時代 → ラジオJ-wave「Toko Hot 100」
という流れだった晴れ

いずれの番組も、核となったのは
チャートインした曲が下位から上位にちょっとづつ(約7秒間くらいづつ)流れる
上位チャートのカウントダウンであったドキドキ
そこでちょっとだけ流れたサビの部分を気に入った曲を思い出すコーナードキドキ
「7秒間の誘惑」本日はToko Hot 100編である。



日曜日の午後、ジョン・カビラのしぶ~い声に誘われて
東京でヒットしているという曲を100曲もカウントダウンするというこのプログラム・・・
現在も放送しており、邦楽メインのチャート内容となっているが・・・
1990年代はバリバリの洋楽メインチャート番組だった!

幅広いジャンルの曲がチャートインしており、
「本当にこんな曲流行してんの?」と勘ぐったりしたこともあるが・・・
その曲たちはいつも社会人になりたてだったDannaを虜にしたのである。
あの曲この曲その曲もこの番組で知った曲である


そして、1990年代はじめ頃、よくチャートインしていたのが
なんだかオシャレなビートにのってスピーディーに展開する音・・・
UKハウス系サウンドであったラブラブ

そんで、ある時の放送のチャートカウントダウンで
チロッと流れ耳にしたハウスサウンドに
Dannaは心をグッと掴まれたのであるラブラブ

清らかな女性ボーカルに、テクノっぽいハウスビート、
シンプルな歌詞に、メロディーと言っていいかかどうかよくわからない不思議なメロディー。
何?この浮遊感!ラブラブ!

その曲は・・・
オーパスⅢの「It's a fine day」なのであった!音譜



う~ん、なんとも不思議な・・・
開放的で高揚感があり、怖い感じのようでもあり、
オーガニックのようでもあり、郷愁があるような・・・
「ラララララ~ラ~ララ~」というメロディが忘れなくなる
聴く人によって様々な印象を持たれるであろう魅力的な1曲だ!キスマーク
Dannaはすっかりこの不思議な音の世界にハマってしまったのであった!




音も不思議だが、
ボーカルのビジュアルと踊りも不思議だ!ブタ

坊主頭・・・いや、「子連れ狼」の大五郎のようなヘアスタイル
さらに全身黒タイツというSMクラブ勤務のような
インパクト絶大なこの女性は
ロンドン生まれのボーカリスト、カースティ・ホークショウだ。
オーパスⅢは、彼女をボーカルにたてたイギリスの
4人組テクノ~ハウス・グループである。

1992年に、ストック・エイトケン・ウォーターマン率いるレーベル
PWL internationalからアルバム「Mind fruit」でデビュー。
ファーストシングルになった「It's a fine day」は
全英チャート5位、全米ではダンスチャート1位の大ヒットとなったクラッカー
当然、日本でもヒットし、Tokyo hot 100でチャートインしたのであった。



結局、このグループもアルバムを2枚出して解散してしまったので、
見事な一発屋さんなのだが・・・
このアルバム、キング・クリムゾンの「I talk to the wind」のカバーにも挑戦したり
なかなか完成度の高い意欲的なUKダンス・アルバムであったにひひ


そんで・・・この「It’s fine day」もカバー曲なんであるクマ
原曲は、1983年にジェーン&バートンがインディーでリリースし、
インディーチャート5位になったアカペラ曲なのである。



むっほ~
これもまたもっと不思議な・・・

というか、このジェーン版「It's a fine day」は、
邦題が「平和な日々に」と付けられ、
1985年に松坂慶子主演でクリネックスのCMで使用されたのだが・・・
その不気味な、よく言えば幻想的な映像によって一部で「呪われたCM」と呼ばれ、
この曲も「悪魔の歌」と呼ばれたという


なんだかそんな情報を聞くと、
ハウス・サウンドに生まれ変わったこの曲までそんな感じにも聴こえるというわんわん

不思議な1曲・・・
目も耳も楽しませてくれたインパクト大な1曲だったのであるパンダ


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KANDACE SPRINGS「WEST COAST」

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*今日の内容は単なる愚痴となっております。



高校2年生のむしゅめちゃんの通う高校で、
今年から留学体験制度が導入された!

12月に、1週間程度だがアメリカのロスアンゼルスに行って
ホームステイをしながら語学学校に通う、というスケジュールだ。
さらに、UCLAやハリウッドの見学までできるという・・・

なんと素晴らしい!ラブラブ!

Dannaも妻っちんも、ぜひむしゅめちゃんに行って欲しくて仕方ないのである。
Dannaは、自分が高校2年生の時に1か月ホームステイを体験して
その体験がいかに人生に大きな影響を与えるかを知っているし、
妻っちんも未知の世界に飛び込む体験の素晴らしさに共感しているラブラブ

先日、学校でその短期留学の説明会が開催されたので、
Dannaも妻っちんと2人で聞きに行った!

さすがに安くない参加費がかかるだけあって
学校側は「勉強推し」えっ
この留学は、あくまで生徒に語学学校で英語を学んでもらうのが目的であって、
決してアメリカのハンバーガーの大きさを確認しに行くような観光ではないことを必至にアピールしていたクマ

・・・しかし、Dannaは知っているわんわん
ハンバーガーの大きさを実際に確認できる体験をすることが、
どれほどその人の価値観を変えるのか、を晴れ

英語なんて学べなくてもいい
世の中には想像を超えるいろんな世界があることを知るだけでも
人生の宝物になるのだクラッカー

そして、その説明を聞いて、
ますますむしゅめちゃんに参加して欲しい気持ちは強まったのであるラブラブ!

しかし!

肝心のむしゅめちゃんの反応は
「え~行かない~」・・・ガックリ

英語に自信がなかったり、事前の研修が面倒そうだったり、
他人の家に1週間もやっかいになるのが怖かったり・・・
子供にもいろんな事情や受け止め方、想いがあるのだろう。
Dannaがその素晴らしさを語っても、妻っちんが説得しても
むしゅめちゃんは全く行く気なし。
親がどんなに願っても、本人にその気がなければ何も始まらないのであるガックリ


そこで、唐突にここでDannaの気持ちを叫ばして頂こうわんわん

おい、コラ!むしゅめちゃん!

アメリカ行けや~

ロス行けや~

ウエスト・コースト行けや~!

家具やインテリアの量販店・・・
それはイケア~!ブタ


ウエスト・コースト(西海岸)だぞ?
ハリウッド映画の世界をまじかに見れるかもしれんのだぞ?
AORの息吹が感じられるかもしれんのだぞ?
もしかしたら、Totoの面々やボズ・スキャッグスに会えるかもしれないんだぞ?(←どんな特典?)ブタ

「とにかく行けや~!」
そんな願いを胸に、キャンディス・スプリングスの「West coast」を流してやる!音譜



キャンディス・スプリングスは、ナッシュビル出身のシンガーソングライターでピアニストである。
彼女の父親は、セッション・シンガーのスキャット・スプリングスであり、
10歳の頃からピアノを習いはじめ、幼少期から音楽に慣れ親しんできた。
ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、ロバータ・フラック、ノラ・ジョーンズなど
渋いアーティストを聞いて育ったようである。
特に13歳の時に聞いたノラ・ジョーンズには大きな影響を受けたようで、
アーティストを目指すきっかけとなったし、
キャンディスさんがライブに出るきっかけとなったのも、
ノラ・ジョーンズの曲を弾き語りで歌ったことだった。

そして、彼女のデモ・テープを聴いてレコード会社との契約を持ち込んだのが
リアーナを育てたプロデューサー・チームのペアエヴァン・ロジャース&カール・スターケン!
しかし、当時17歳ということもあって家族の「時期尚早」という判断によって
デビューの話は見送られ、ラウンジでの弾き語りをする日々を過ごす。

数年後に、拠点をニューヨークに移して本格的にデビューを目指す!
そして、オーディションにおいてボニー・レイットの「I can't make you love me」を歌い
ブルーノートの社長、ドン・ウォズの目にとまって
見事ブルー・ノート・レコードと契約することになったのだったクラッカー

そして、2014年にEP「Kandace Springs」でデビュー!「
キャンディスさんの得意なジャジーな弾き語りというよりも
R&Bやヒップホップ色の強い作品に仕上がっていたのだが、
全米チャート5位のヒットになったのであったキスマーク
「West coast」はそのEPの中の1曲である。



おお~
キャンディスさんのボーカルはスモーキー
BGMはポップでヒップ
なんとも不思議な魅力に満ちた1曲だドキドキ

このヒップホップ路線に疑問を感じ始めたキャンディスさん・・・
本来ならすぐにでもフルアルバムをリリースする予定だったのだが、
音楽の方向性を見つめなおすために大幅延期になり、
2016年にジャズやソウル・カントリーの要素も入った
アルバム「Soul eyes」がリリースされたというにひひ

その中から現在、ノラ・ジョーンズの「Don't know why」を書いた
ジェシー・ハリスが書き下ろした1曲「Talk to me」が
日本のラジオ局を中心にヒットしているラブラブ


・・・まぁ~、しかし、説明会の時に学校の先生が言っていたが、
「昔に比べて最近の学生は自分の殻をやぶることをしなくなった」そうだ
自分の手の届きそうな範囲のことしか挑戦せず、未知の世界には尻込みする・・・
それを打破しようと留学制度を導入したらしいのだが、
全く同感である!馬

むしゅめちゃんは英語は嫌いだし、映画も好きでないし、AORも興味なし、
と積極的に英語に触れる機会が少ないのだが・・・
だからこそ行ってもらいたいなぁ~
というか、Dannaが行きたいわ!わんわん
年齢を重ね、仕事を始めるとこんなチャンスはなかなかないペンギン
それもわかってもらいたいのであるクマ

ともかく、受付締切日が迫っている・・・

最後にもう一度叫ばせてもらおう

むしゅめちゃん、
とにかくウエスト・コースト行けや~わんわん

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J.GEILS BAND「FREEZE-FRAME」

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「”壁にひたいを飾る”って何よ~」わんわん

リビングで国語の宿題をしていた中2の息子ちんが突然叫んだ!

そばにいた妻っちんも高校生のむしゅめちゃんも
突然のことであっけにとられているΣ(゚д゚;)

しかし・・・
Dannaはわかってしまったえっ

それは”ひたい”ではなく”がく”だ。
額縁の額だよ!

恐らく漢字の読み方を答える問題だったのだろう。

しかも、とっさにもう一つわかってしまった・・・
息子ちん、わかってて言ってるガーン

前後の文脈で推量できているのにわざと”額”という漢字を”ひたい”と読んだ。
理由は一つ・・・
みんなの気を引きたいからだ!ブタ

そう、立派な中二病の一種なのであるクマ


Danna「あ~もう!それたぶん”がく”!額縁の”がく”」わんわん

息子ちん「あ!な~んだ~」

妻っちん・むしゅめちゃん「へー思いつきもしなかったわ~」パンダ



ああ、シレッとした息子ちんに・・・
妻っちんとうしゅめちゃんは引っかかっているぶーぶー
こちらはあまりの中二病ぶりに固まってしまったわ~( ´艸`)

いや?待てよ・・・
「額」で「固まる」というと・・・
Jガイルズ・バンドの「Freeze frame」ですな!音譜



J.ガイルズ・バンドは、ギタリストのJ.ガイルズによって
1967年にマサチューセツで結成されたブルース・バンドが前身になっている。

J.ガイルズといっても両方右手の男ではございませんぞ~ブタ
それはJ.ガイル、この人はJ.ガイルズだ(←唐突なジョジョ・ネタぶっこみ)

結成当初はJ.ガイルズがシンガーもつとめ、泥臭いブルース・バンドを演奏。
しかし、ピーター・ウルフがシンガーとして加入してからは
J.ガイルズ・ブルース・バンドとして活動し、
1970年に念願のメジャー・デビューを飾るにあたってJ.ガイルズ・バンドと名乗るようになり、
R&B色の強いロックンロールを演奏するようになるのである。

そうして、時代と共に演奏する音楽も移り変わり、
いまいちヒットに恵まれない長い不遇時代も経験したロック・バンドであるクマ

アルバム、シングルは多発するも、小ヒットどまりだった彼ら・・・
本当に陽の目をみたのは、当時流行の兆しを見せていたニュー・ウェーブに目を付け、
ロックン・ポップさを前面に押し出した
1981年のアルバム「Freeze frame」であるクラッカー
ファーストシングルの「Centerfold」は全米チャート1位に輝き、
アルバムもデビュー11年目にしてバンド初のナンバーワンの大ヒットになったのだった。

「Freeze-frame」はアルバムからのセカンドシングルで、
全米チャート4位とこちらも大ヒットになったアップ



おお~明るいポップ・ソングですなぁ~晴れ
昔のJ.ガイルズのサウンド、ピーター・ウルフのソロ曲のサウンドと比べると
やっぱりニューウェーブっぽさが強すぎるが・・・
まぁ、これが時代の音だったのだろう。


さて、息子ちんもこれで本当に中学2年生
本格的な中二病は、これからか・・・
先が思いやられるなぁ~ブタ

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CADO BELLE「ROCKED TO STONY SILENCE」

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未CD化だったレアでマニアックなレコードがついにCDに!
そんな喜びをみんなに共有して
全員でワッショイ!しようというコーナー(のグループ編)ドキドキ
「CD化サンキュー・ベリー・ワッショ~イ!」


本日取り上げるのは、
ケイドー・ベルの「Cado Belle」である音譜



ケイドー脈ではございませんぞ~ブタ

ケイドー・ベルは1970年代にイギリスのパブロック・シーンで人気を博した、
スコットランド出身の男女混合6人組バンドである。
なんといっても、映画「エクソシスト」のテーマ曲にもなった「Tubular bells」のマイク・オールドフィールドと組んで・・・
「Moonlight shadow」を歌ってヨーロッパ中で大ヒットさせた女性ボーカリスト、
マギー・ライリーが所属していたことで知られるクラッカー

もともとキーボード担当だったスチュワート・マキロップが、
自身のバンド、ジョー・クールにマギーさんを誘ったことから
1974年よりバンド名をケイドー・ベルとして活動を開始。
アヴェレイジ・ホワイト・バンドやココモ、ゴンザレスといったバンドのような
ファンキーなロックを聴かせ人気を博したのだったラブラブ!

1976年には唯一となってしまったアルバム「Cado Belle」をリリース。
プロデュースしたのはホワイトスネイクスコーピオンズなどなど
大ヒットしたアーティストを多数手がけたキース・オルセン!晴れ

このアルバム、なんといっても
マギーさんのメロウな女性ボーカルが心地良すぎる!
なんか・・・ソウルフルでいて艶があり、突き抜ける魅力があるのだ!

女性コーラスがなんとも黄昏感を演出するメロウな1曲「Infamous mister」や
ストリングス+ブラス+ギターでファンキーに迫りつつ
サックスがメロウな「That kind of fool」あたりが良い感じなのだが、
Danna的にはやはりプリンスを思わせるようなボーカルがメロウすぎる
ゆったりとした「Rocked to stony silence」を取り上げたい馬



もふ~ラブラブふんわりとした浮遊感がたまらなく、
ファンキーかつグルーヴィーで、フリーソウルとしても人気が出そうな1曲だクラッカー
まさしくイギリスで育ったブルー・アイド・ソウルの傑作である!


しかししかし・・・内容のわりにはあまり売れなかったのか、
グループは1977年にEPを1枚リリースするも、
結局1979年には解散してしまうのであるガーン

内容のよいグループだっただけに残念!

このアルバムは、2008年になんとレアなEP「Cado Belle EP」を加えて
グループ活動の完全版としてCD化された。
ワッショイ!かに座

しかし、もう少し我慢して活動してもらって、
1980年代にAORとして聴いてみたかった幻のグループなのであるにひひ

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RICHARD STEPP「CAUGHT UP IN A WHIRLWIND」

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むしゅめちゃんは
昨日も奇妙な踊りのステップを踏んでいた~っと・・・ドキドキ

そんなステップを見て思ったのが、
やっぱりイイ音楽でステップ踏まなきゃね~
ということだった・・・音譜

ステップと言えば、
イギリスのポップグループ「Steps」・・・
と言いたいところだが、
AOR界的には見逃せないステップさんがいるラブラブ!

リチャード・ステップさんだ!ドキドキ

$わかる人だけわかってくだはれ!

リチャードさんはカナダ出身のシンガー・ソングライターであるドキドキ
1979年に発表されたアルバム「Happy in Hollywood」
はそのタイトル通りに
ハリウッドでレコーディングされた逸品だ!晴れ


ジャケも、いかにもと言った
ブリーズな感じ・・・
プールサイドに立つステップさん(?)が
水面に映っているという・・・飛行機
「ハリウッドでの休日」ってか・・・?音譜

う~ん、クリスタル!ラブラブ!


しかし、このアルバム、
そんなにクリスタルかといわれれば
実は全編にわたってクリスタルと言うほどでもないブタ

「ハリウッド」というぐらいなので
どちらかというと、
ウエストコーストものに近いのだが、
そこそこイナタイブタ

というか、
曲によってデキにバラツキがあるというか・・・クマ

「Hold on」や、爽やかな「When we meet again」
など、コンテンポラリーっぽい
頑張っている曲もあるのだが・・・ラブラブ

しかし、何と言っても押さえておきたいのが
アルバムのラストを飾る
超絶グルービーなソウル・チューンの
「Caught in a whirlwind」だアップ



ストリングスが大活躍する
降ってわいたような(←なんか失礼な言い方ブタ
超メロウ・ダンサー馬

ステップさん、このアルバム1枚で消えてしまったようだが・・・
この「Caught in a whirlwind」は
フリーソウルとしても通用する
まぐれ当たりもいいところ
大ホームランなのである(←失礼極まりなしブタ

このアルバムの正しい聴き方は、
いかに「Caught in a whirlwind」が他の曲と比べてズ抜けているか?パンダ
を確認することだろう(←言いすぎブタ


ま、ステップさん、
むしゅめちゃんの奇妙な踊り用として
またステップの効いたメロウ曲
を聴かせてね(←なんか、フォローしようがなくなってきた・・・ブタ


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FRANK MCCOMB「CUPID'S ARROW」

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高校2年生のむしゅめちゃんは、
とんでもなく昆布好きであるラブラブ!

台所のキャビネットに昆布が常備してあって・・・
「腹減った~」と言い出したと思ったら
モソモソとキャビネットをあさり
いつの間にかポリポリ昆布を食べているのであるえっ

「中野の都こんぶ」のような酢昆布系の昆布菓子でもなく、
乾燥した出し昆布なぞを少しづつちぎって食べているのであるナイフとフォーク
本人は「昆布ラブ」とか言いながら
毎日食べて空腹を満たしているらしいドキドキ

まぁ、なんとなくダイエットとかにはよさそうな感じもするし、
繊維質がいっぱいで健康的な気もするが・・・

むぅ~
それ美味しいのか?ショック!



こんなむしゅめちゃんに贈りたいのは
昆布だけにフランク・マッコンブ・・・
いや、フランク・マッコムの「Cupid's arrow」だ音譜



フランクフルトにコンブを巻き付けた料理のような名前の
フランク・マッコムさんだが・・・
アメリカ・オハイオ出身のジャズ~ソウル・シンガーでキーボード奏者である。

少年期におじからピアノを習い始め、学校やナイトクラブで演奏。
高校生のころには自身のバンドを持つほどだった。
高校卒業後はアトランタ・レコードのR&Bグループとツアーをまわり、
その最中にDJジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスのジェフ・タウンズと出会う
そして、その縁でフランクさんは
伝説のソングライター・チーム、ギャンブル&ハフと出会い、
彼らの元で音楽の経験を積むのだクラッカー

そして1990年前半には大手のモータウンのジャズ・レーベルと契約するまでに至る。
・・・しかし、結局レコーディングした音源は世に出る事はなく、
続いて2000年にコロンビア・ジャズと契約してアルバムをリリースするも
全く売れず、これらの経験は彼にとって苦いものとなったようである。

失意の中でメジャー・レーベルから
インディーでの活動を選択するようになり、
2003年にイギリスのExpansion records及び日本のトイズ・ファクトリーから
アルバム「The truth」をリリースする。
このアルバムはインディーながら
ビリー・プレストンやパウリーニョ・ダ・コスタといった大物がサポートして制作された
ナイス・ジャズ~ソウルな内容であったキスマーク

マッコンブさんの声の特徴はソウルフルで洗練された歌声。
ついたあだ名が
「現代のダニー・ハサウェイ」ドキドキ
フェンダー・ローズが鳴り響く
ジャジー&メロウなサウンドに、甘くて力強い声がのるのである。

その手触りは現代に蘇った1970年代ソウルラブラブ
ティーナ・マリー、フィリップ・ベイリーなど
多くのミュージシャンからも高い評価を受けた逸材なのである。
「Cupid's arrow」はそんな彼のアルバム「The truth」からの1曲だ。



おお~
なんともイイ感じのアダルトでコンテンポラリーな1曲だラブラブ!
夜、まったりとする時間に流したい
至高の楽曲である音譜



さて、こんなにもメロメロにさせてしまう
マッコンブさんだが・・・



このように、
名前にCombついているのに昆布食べないから
見事なハゲである(←大失言)ブタ

そんなわけでむしゅめちゃん、
いっぱい昆布食べてダイエット&髪フサフサ目指して
頑張るんだぞ~(←髪フサフサだけ必要なし)クマ


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DARYL HALL&JOHN OATES「MANEATER」

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先日、とあるラーメン屋さんに行ったところ・・・
メニューに「つけ麺」があったので頼んでみた!

Dannaは大のつけ麺好きであるドキドキ
最近は、ラーメン屋さんに行っても、
ラーメンよりもつけ麺を選ぶくらいなんである。


そして待つこと数分・・・
やっと出てきたつけ麺に手をつけるにひひ

麺をとり、つけ汁に少しつけてすすると・・・

!何?

つ、つけ汁が冷たい!ブタ

麺には冷たい麺と、「あつもり」と言われる温かい麺の2種類があるのはわかる。
しかし、これは・・・
麺は冷たいし、つけ汁も冷たいのだ!わんわん

「つけ麺」でなく「冷やしラーメン」

こ、これは・・・違う!

だいたい、冷たく〆られた太麺を、熱々のつけ汁に浸して
ズルズル食べるのがたまらないのだ!
そして、だんだんつけ汁がぬるくなっていって、食味が変化することを楽しむ・・・
それがつけ麺だクマ
そして「冷やしラーメン」は、単に冷やし中華の酸っぱくないバージョンだ!
つけ汁が熱いか冷たいかで全く違う料理になる馬


早速、メニューを確認する・・・
が、やはり堂々と「つけ麺」と書いてあるブタ
何かの間違いか・・・
しかし、この店は数店舗を営業するチェーン店。
やはり料理名の間違いは正してもらわなければ!

「すみません!この料理、つけ麺じゃないよ!
冷やしラーメンだよ!メニューの品名が間違っているよ!わんわん


・・・などと言おうと思ったけど、
厨房で忙しそうにしている店主がハゲてゴツイ怖そうな人だったので
黙って冷やしラーメンを完食した気の弱いDanna・・・クマ


しかし、口の中は冷たくなる一方で・・・
冷やしラーメンはやはりつけ麺にはかなわないガックリ
こんな冷たいラーメンにガッカリしたDannaの心情を歌ったのが
ホール&オーツの「Maneater」である音譜



おお~
むさくるしい~

汗だらけのおっさん2人が向かい合っているジャケ(しかも背景赤い・・・)は、
暑苦しさしか感じないのである。

・・・そんなことも当人たちはわかっていたのか、
おっさんたちが写っていないバージョンのアルバム・カバーも用意されていたというね!



・・・い、いや、これも暑苦しい~ブタ


まぁ、いいや。
当ブログでも何度も取り上げている
AOR界きってのブルーアイド・ソウル・アーティスト(←無理矢理)ホール&オーツ。

1970年のデビュー以来、数々の名唱でヒットしたのはもちろん、
様々なアーティストにカバーされるような名曲もたくさん生んだ
伝説のデュオである。

「Maneater」は、4週間も全米チャート1位を記録した
彼ら最大のヒット曲である
Danna認定の「未来に残したいAORの名曲30選」にも選定した「One on one」など
トップ10ヒットを3曲含む1982年リリースの大ヒットアルバム
「H2O」からのファースト・シングルであった晴れ

ちなみにこのアルバム・タイトル・・・
もちろん「H2O」は「水」を表すのだが、
Hはホールを、Oはオーツを表しているらしい。
グループ内でのそれぞれの活躍指数をあらわしているのだろうか?
よく考えたものだにひひ



おお~なんともクールでアヤしい・・・
その何とも言えないアヤしさがだんだんメロウに聴こえてくるという・・・
数あるエイティーズの名曲の中でも
不思議な魅力に溢れた1曲であるドキドキ



んで、この曲は暑苦しいジャケとは反対に、
冷やしラーメンでがっかりしたDannaの心情も歌ってくれている!

1分28秒くらいの「Oh,here she comes」というサビのコーラス部分・・・
「お~お~ 冷やしか!」
と聴こえるではないか!


なんか、遠くから聴こえてくるような囁くようなメロディー・・・
「ああ、冷やしか・・・」
冷やしでガッカリした様子もよく表されているではないか!
まさしくこんな感じなんだよ!
冷やしじゃダメなんだよ!わんわん

とにかく全国のラーメン屋さん!
つけ麺のつけ汁は熱いのでよろしくお願いします!(←なに?このオチ)クマ


・・・それにしてもホール&オーツの曲は
空耳ソングが多くてありがたいなぁ~晴れ

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PAGES「ONLY A DREAMER」

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Danna「”少年よ大志を抱け”
この言葉を言ったのが・・・あのクラーク博士だったね~」ドキドキ


むしゅめちゃん「そうそう」

Danna「じゃ、この有名な言葉を英語で言うと・・・
さて、何だっけ?」にひひ

むしゅめちゃん「え~、習ってないよ~」

Danna「え?パパの時代は中学の教科書にでてきたぞ~」

むしゅめちゃん「だってパパの時代と違うんだもん」

Danna「まぁ、それはいいとして、有名な言葉だよ?
高校生なら絶対知ってるでしょ?」にひひ

むしゅめちゃん「え~っとね~」

Danna「本当に知らないの?
仕方ないなぁ~”Boys be・・・”
さて何?」クマ

むしゅめちゃん「ん~っと・・・大志、大志・・・
ビッグ!・・・ビッグ・・・ビッグ・・・」ブタ

Danna「なんですとっ!むしゅめちゃん!
それ、”大志”を英訳しようとして”ビッグ”が出る時点でもうダメだわ」ショック!

むしゅめちゃん「え~っと、
ビッグ・ドリーマー!
Boys be big dreamer!わんわん

Danna「あ、アカン・・・アホすぎる」ガックリ


むしゅめちゃん!それ、"Boys be ambitious"だよ!
ビッグ・ドリーマーって・・・
そりゃ夢見る人・・・ペイジスの「Only a dreamer」って感じだよ!音譜

$わかる人だけわかってくだはれ!

ペイジスは、リチャード・ペイジとスティーブ・ジョージを中心に
腕利きスタジオ・ミュージシャン達で結成されたロック・バンドである。

アリゾナ州フェニックスで高校で同級生だったリチャードとスティーブは、
卒業後にロスに引っ越して一緒に音楽活動をはじめた。
1977年にはビージーズの末弟、アンディ・ギブにバンド・メンバーに誘われてツアーに参加。
その後デモ・テープを作成したところ、
元ブラッド、スウェッオト&ティアーズのボビー・コロンビーの耳に留まって
1978年にエピック・レコードと契約することになったのであったクラッカー
AOR12神の一つ、ペイジスの誕生であるラブラブ!

もともとポップな音作りに興味にあった2人であったが、
1978年にリリースしたファースト・アルバム「Pages」では
ファンク・ジャズ・ソウル・カリプソといった様々な音楽をごちゃまぜにした
ブルー・アイド・ソウル的音楽を展開。
1979年のセカンド「Future street」も若干ロックよりながらも
メロウでソウルフルなサウンドを追及。
そして1981年のサードは、なぜかファーストと同じタイトル「Pages」だったが、
彼らの最高傑作と言われるほど内容的には充実した
ポップでキャッチーなクリスタル・サウンドを展開したのであったドキドキ

残念ながらこれらの3枚の作品、
チャート的には全く見向きもされなかったガーン

彼らは一旦グループを解散し、
リチャードとスティーブはソングライトやバックボーカリストとして活動することになったのだが・・・
これは大当たり!ラブラブ
デビッド・フォスターやクインシー・ジョーンズら大物プロデューサーと仕事をし、
多くの大ヒット作に手を貸すことになるのである。
そして、後に「Broken wings」「Kyrie」といった全米ナンバーワン・ヒットを生む
Mr.ミスターを結成するのだ!


「Only a dreamer」はそんな彼らの内容の割には不遇な1枚、
1981年のサード・アルバム「Pages」に収録された1曲である。



おお~サビのペイジスのハーモニーがクールで爽やかに香る、
AOR至極の1曲である。

このアルバム、プロデューサーを担当したのは
我らがジェイ・グレイドン
この曲でもギターを担当し、ライトでメロウなサウンドに一役買っているのだキスマーク


・・・しかし、よく考えてみると、
むしゅめちゃんの答えも全くの間違えではないような気がするが・・・えっ

むしゅめちゃん!
自分が幸福になるための夢を追いかけることがDream
他人が幸せになるための野心を持つことがBe ambitious
なんだよ!わんわん

Only a dreamerにならないように気を付けようね~星空


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STEVE GIBB「TELL ME THAT YOU LOVE ME」

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有名ながらもなかなかCDにならなかった、
あるいは廃盤状態が続いていてデジタルの音が聴けなかった・・・
そんなウズウズするような悲しいアルバムがようやくCD化された!
そんな喜ばしいアルバムを取り上げてみんなでワッショイ!するコーナー(の男性アーティスト編)ドキドキ
「CD化!ワッショイ・ヨシ男く~ん」


今回ワッショイ!されるのは、
スティーブ・ギブの「Let my song」である音譜



おお~ピアノの前でこちらを見上げる男性・・・
こ、これは間違いなくピアノマンですね?クマ

そしてスティーブ・ギブという、どっかで聞いたことのある名前・・・
あ!もしかしてあのビージーズのバリー・ギブの息子か!
ということはイギリスのピアノマンかっ!?Σ(゚д゚;)


・・・なんていう予測は全くのハズレなんである。

スティーブ・ギブはアメリカ・フロリダ出身のシンガーソングライターである。
はい、バリー・ギブの子供(長男)とは全くの別人なのであしからずブタ

カントリーやMOR系のアーティストとして活動を開始し、
異色なのは・・・
この人ナッシュビルを拠点にしたピアノマン、ということなのだが、
あのボビー・コールドウェルやKC&ザ・サンシャイン・バンドを生んだ
マイアミのアツ~いレーベル、TKレコードの子会社Cloudsと契約を結んだことだった!
このレーベル、ディスコやブルーアイド・ソウル系のメロウな名作をたくさん生んだのだが・・・
このようなピアノマン系はあまりおらず、
不思議な存在感をかもしだした!わんわん

そして1979年には、スティーブさんの1曲「She believes in me」が
御大ケニー・ロジャースによってカバーされ、
全米チャート5位、アダルトやカントリー・チャートでは1位を獲得する大ヒットになる晴れ
またヘレン・レディも彼の曲を取り上げて注目が集まるのであった。

そんな中、リリースされたファースト・アルバムが「Let my song」であったクラッカー
その「She believes in me」から始まるアルバムは、
あのバズ・ケイスンがプロデュースを担当し、
マイク・ロウラーやランディ・グッドラムが参加した
ピアノを中心としたバラード曲をメインに据えた
静かながら味わいのある1枚に仕上がっていたのだったラブラブ

そして何といっても、日本においてこのアーティストが記憶に残っているのは・・・
収録曲の1曲「Tell me that you love me」が
田中康夫原作の映画「なんとなくクリスタル」の劇中歌として使用されたからである
名だたるAORアーティストが集結したこの映画のサントラは
まさしくAORの理想郷!ラブラブ!
そのサントラに確かな存在感を示しているのである。



おお~まさしくカントリー系AOR!
決してAORのど真ん中というわけではないのだが、
AOR真っただ中の時代の、郷愁を誘うような佳曲なのであるドキドキ


この後も、「She believe in me」なんかは本当に多くのアーティストにカバーされ、
時代を超えて愛されて行くのだが・・・
スティーブさんはこの1枚きりで表舞台からは姿を消すことになるぶーぶー
そして、あれだけサントラで注目を浴びた割には
このアルバムも日本国内ではなかなか発売されず、CD化もされないままだった・・・
しかし、2012年にようやくCD化された!
ワッショイ!かに座

今もいぶし銀のしぶ~い光を放ち続ける名曲たちを
いい音で聴き続けたいものなのであるドキドキ

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久保田利伸「MISSING」

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むしゅめちゃん「ね~、ぱってぃ~」ドキドキ

Danna「なんだい?むしゅめちゃん!」

むしゅめちゃん「『Bad』の最上級ってなんだっけ?」ドキドキ

むほほほ~
Dannaが得意な英語の質問ですな!
これは親の威厳の見せどころであるにひひ
サクッと答えてあげなければっ!

Danna「『Baddest』だよ!ふははは~」

むしゅめちゃん「へ~、じゃぁ比較級は?」

Danna「比較級は・・・『Badder』
あれ?なんか違う気がするぞ?」ブタ

・・・辞書で調べ始めるむしゅめちゃん馬

むしゅめちゃん「ね~、ぱってぃ~
『Bad』の比較級は『Worse』『Worst』だよ~」

Danna「あ!そうだった!
それ、大事なやつだった!

・・・ね?そうやって辞書で調べたから
もう忘れないでしょ?

辞書で調べるようにわざと間違えたんだよ~」ブタ

・・・ぬぅ~
適当な理由をつけてくぐり抜けたものの、
あやうく親の威厳を失うところだったぜぃ~(←すでに失っている)クマ

それにしても、こんな簡単な英単語、
何年振りかに質問されたら
案外すぐにでてこないものなんだなぁ~ブタ

しかし、「Bad」の最上級が「Baddest」と浮かんでしまうのは・・・
間違いなく久保田利伸のベスト・アルバムが「The baddest」だったせいだな!

久保田さんよ!
「Baddest」のせいで「Bad」の最上級を「Missing」して恥かいたよ~音譜



久保田利伸は、現在も活躍中の
日本を代表するR&Bシンガーソングライターであり、プロデューサーである。

駒澤大学時代に軽音楽部ロック研究会に所属して本格的に音楽活動をはじめ、
1982年に、ヤマハ主催のコンテストでベスト・ボーカリスト賞を受賞するなど
学生時代からハデな活躍をみせる。
大学を卒業後は、キティミュージックと契約して音楽業界に入って、
田原俊彦や中山美穂、小泉今日子、鈴木雅之、バブルガムブラザーズ、森高千里、TOKIOなど、
多くの歌手やアイドルに楽曲提供するのだった。

そして、シンガーとしてのデビューは
1986年のシングル「失意のダウンタウン」であったクラッカー
もともとスティービー・ワンダーが好きだったという久保田さんだが、
持ち前のファンキーさとブラック・ミュージックへのリスペクトで
当時の日本にはなかったファンキーでソウルフルな曲を次々とリリースすることになる。
久保田さんはしだいに、J-ソウルとも言えるブラック・ミュージックを
日本に根付かせたパイオニアと言われるようになるのだドキドキ

久保田利伸がブレイクするのはシングルではなく、
1986年のファースト・アルバム「Shake it paradise」であったことも実に洋楽っぽいにひひ
このアルバムからは後に代表曲と言われる「流星のサドル」と「Missing」という
ファンキーな久保田さんとバラーディアとしての久保田さんという
両極端な魅力を備えた超名曲が収録されていた。
意外な事にどちらもシングル・カットされていないのだが、
テレビ・CMに使用されたり、様々なアーティストにカバーされたり、
時代を超えて愛されているのである。

特に「Missing」はAORバラードの名曲と言っても差し支えない
切なさ100%の名曲なのであるラブラブ



う~ん、しみじみ・・・
青春時代直撃だったであろう現在40代くらいの人々にはたまらない1曲だ。
学生時代の想い出が蘇ってくる黄昏ソングなのであるドキドキ


そんなわけで・・・
「The baddest」というのはスラングで、
まぁ、使わないということはない言葉ではあるらしいのだが・・・
試験で使ったらバツになるから覚えないほうがいいよ~えっ

でもDannaのように・・・
久保田さんのおかげでうっかり間違えちゃうて人も多いかもね!ガーン


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DWAYNE FORD「LOVIN' AND LOSIN' YOU」

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AORにとって大切なのは
トータルのイメージであるドキドキ

特に日本においては、「なんとなくクリスタル」やエア・サプライなどの影響によって
コジャレ感が非常に重要なファクターとなったものだ夜の街

一億総クリスタル化である(←そんなに大げさ?)ブタ

そんなトレンドに敏感な日本のレコード会社!
特に1970年代後半~1980年代前半のAOR全盛期当時、
出すレコードには「いかにおしゃれイメージを刷り込むか?」に全力を捧げていた!
その努力の方向性は、邦題、レコード・ジャケット、帯など多岐にわたり、
日本独自に進化していた馬
サウンド以外に変えられるビジュアルの部分で
日本のレコード会社がどれほど努力していたか、を検証するコーナー晴れ
「AORビジュアルの件」

本日取り上げるのは、
ドゥエイン・フォードの「Needless freaking」である音譜



ぬぅ~・・・なんじゃこりゃ~!
風呂入っているおっさんの絵じゃないか~温泉

しかも、おっさんは微妙にチャールズ・ブロンソンみたいだし、
地震でもあった直後なのか、ヒゲ剃りやらランプやらが落ちかかっている!
ランプ落ちたら感電死しちゃうよ!?ドクロ
そんなツッコミしか思い浮かばないジャケだ。


ドゥエイン・フォードは、カナダのエドモントン出身のミュージシャン、作曲家、プロデューサーである。
5歳の頃からピアノを始め、高校生の頃にはプロ級の腕前を身につけて、
自身のバンド、ベアフットを結成。アルバム・デビューも果たすのだった。
バンド解散後は裏方に徹することになり、おもに映画音楽に携わるり、
多くのアーティストと共演・共同プロデュースを行うようになる。

同郷のよしみなのかデビッド・フォスターと仕事をすることになり・・・
それにともなってTotoの面々やらドノヴァンやらジェイ・グレイドンやら
やたらと豪華なメンバーと繋がっていくのだ!

1981年にはフォスターの後押しもあって、ソロ・デビューすることになる。
そして、フォスターの全面バックアップのもとに仕上がったアルバムが
この「Needless freaking」だったのだクラッカー
ドゥエインさんのソロ名義アルバムはソニー系から5枚リリースされているのだが、
当時、日本でリリースされたのはこの「Needless freaking」だけとなっている。
ゆえに、こと日本ではAOR目線で非常に人気の高い1枚となっているのだ!

もちろん、人気が高いのはその内容による
この時代はフォスターはジェイ・グレイドンと共にエアプレイとしてアルバムをリリースし、
実にノッていた頃であるキスマーク
サウンド・プロダクションは、フォスターとドウェインさんの共同プロデュースのもと、
ギターにスティーブ・ルカサー、ギターにジェイ・グレイドン、
ドラムにジェフ・ポーカロ、ベースはマイク・ポーカロ、キーボードはフォスター・・・
Toto~エアプレイ勢集結の、よだれもののメンツだったのだラブラブ!

そして曲のほうも「Am I gonna find your love」「Stranger in paradise」など
ドゥエインさんが書いたメロウなロック揃いとなっていて、AOR的に実に美味しいナイフとフォーク
特に1曲目の「Lovin' and losin' you」は、AORの美味しさを閉じ込めたかのような
芳醇な1曲であるラブラブ



ああ・・・ポーカロのドラムに乗って
キーボードとギターの掛け合いによってメロウな世界が繰り広げられる・・・
そして、サビはハーモニー・・・
まさに大人のロック!
ドウェインさんのボーカルはとびっきり上手いわけではないが、
演奏を際立たせる控えめなバランスがまたよろしい!(←なんだか失礼な一言)クマ


これほどまでに美味しいAOR・・・
上手に世に広めていきたいね・・・

「でも、こんなのクリスタルじゃない!」わんわん
って、レコード会社の誰かが叫んだ!わんわん(←たぶん)

そう、あのアルバム・ジャケであるにゃー
日本のレコード会社はこう思ったはずだ

「これだけクリスタルなサウンドに、
チャールズ・ブロンソンの入浴シーンじゃ萌えない」ガーン

このミスマッチを解消するために日本のレコード会社は頑張った!
日本盤発売にあたって
ジャケの差し替えを敢行したのであるにひひ
それがこれだ!



・・・原盤のジャケ・イメージさらさらねぇ~ブタ

おそらく、ドゥエインさんの姓が「フォード」だったので、
「フォード=車でも出しとけ」的に決められたのであろう。
どっかの砂漠みたいなところ(恐らくパラダイスを表している)に停まった車(恐らくフォード車)という
コジャレ写真ジャケになったのである。

さらに日本のレコード会社は頑張った!
アルバム・タイトルを「Needless freaking」から
なんとなくミステリアスなイメージのする曲名「ストレンジャー・イン・パラダイス」に変え、
リード・トラックになるであろう1曲目の「Lovin' and losin' you」の邦題を
なぜか「追憶のパラダイス」と変えたのだったえっ

同じアルバムにキーワードがあれば、曲関係なしに勝手に邦題を付け変えてしまう・・・
どう?この見事なスライド術!べーっだ!

そして・・・これぞクリスタル!にひひ

ブロンソン・ジャケとコジャレ・パラダイス・ジャケ、
店頭で見かけてどっちが手に取られるか?はあきらかであろう。

このようなオリジナル無視とも言える変更も、
日本独自のワビサビを表した文化として味わいたい
また、その味わい深さこそがAORムーブメントの奥深さ、なのであるラブラブ

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RICHARD TORRANCE「RIO DE JANEIRO BLUE」

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パラリンピックも閉会し、
リオ・オリンピックが終わってしまった・・・えっ

様々な感動を呼んだオリンピック。

Dannaも毎日のようにニュースをみて
日本人選手の活躍に胸躍らせたものだドキドキ
逆に、これほどまでに楽しませてくれたオリンピック・・・
終わってしまって「明日から何を楽しみにしようか」と思ってしまうくらいなのであるクマ


リオ・デ・ジャネイロでの熱戦が終わった今、
なんとなく心に流れるのは祭りの後の寂しさのような感覚だブタ
そんな気持ちはAORを聴いて清めるしかないであろう。
AORの名曲中の名曲、リチャード・トーランスの「Rio De Janeiro blue」で
ブルーな気持ちとはおさらばしよう音譜



これまた、いやらっすぃ~ジャケですなぁ~キスマーク
いかにもイヤらしそうなリチャードさん(←偏見)が、
イヤらしそうな美女(←願望)と抱き合っているという、
いかにもリオ・デ・ジャネイロな雰囲気(←偏見)を持った良い感じジャケな1枚だ!
しかも、リチャードさんのドヤ顔・・・
胸毛むしり取ってやりたくなるね!(←変態)ブタ


リチャード・トーランスは、ノースダコタ州出身のシンガーソングライターでギタリストである。
ティーンで音楽で生活していくことを夢見て、
高校を出た後すぐにカリフォルニア州に引っ越して音楽活動を開始する。

1972年にレオン・ラッセルのレーベル、Shelter recordsと契約し、
1973年にアルバム「Eureka」でデビューするクラッカー
結局3枚のアルバムを残して1975年にはキャピタル・レコーズに移籍。
ここでは4枚のアルバムをリリースするのだ。

「Rio De Janeiro blue」は、リチャードさんが曲を書き、
1977年にキャピタルから初めてリリースされたアルバム「Bareback」に収録された1曲であるドキドキ
このアルバム、ジャケのような男性的魅力をムンムンと発揮させるような音楽というよりは、
アコースティック・ギターを中心とした
ウエストコースト調AORを感じさせるメロウ・サウンドだった!

なによりも制作陣が豪華だ!
ビリー・ペイン、サム・クレイトン、デビッド・ハンゲイト、ジェフ・ポーカロなどなど
リトル・フィートと後のTotoのメンバーが脇を固めているラブラブ!

リチャードさん、1970年代はツアーのセッション・アーティストとして
リトル・フィートはもちろん、カンサス、フリートウッド・マック、イーグルス、シカゴ、
REOスピードワゴンなどなど様々な大物アーティストと世界中で演奏していた。
その恩恵ともいえる内容になっていたのである。



おお~なんとも哀愁に溢れてロマンティック。
演奏はもちろん、リチャードさんのボーカルがセクシーに迫る・・・
AORの魅力が詰まった、まさしくAORスタンダードといってしまっても差支えない1曲だラブラブ!


さて、この曲・・・
さすがに「AORの名曲」というだけあって、様々なアーティストにカバーされている。
ニコラット・ラーセンも1979年にアルバム
「In the nick of time」で取り上げているのだが・・・
特にランディ・クロフォードのバージョンが特筆ものなので取り上げておこう

ランディ・クロフォードは、日本では1991年のテレビドラマ「もう誰も愛さない」に使用された
「Almaz」(邦題:スウィート・ラブ)ですっかり有名だが、
もともとはジャズ・シンガーである。
そんな彼女がトミー・リピューマ、アル・シュミットのコンビがプロデュースした
1981年のAOR盤「Secret combination」(邦題:愛の諜報員)で披露したのが
「Rio De Janeiro blue」のカバーだった。



ああ、なんともトロけてしまいそうにメロウ・・・
行ったこともないリオへの郷愁をさそう1曲に仕上がっているのであるにひひ

というわけで、4年に1度の真夏の祭典は終わってしまったが・・・
さぁ、次は東京オリンピックだ!

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STARCROST「FALSE PARADISE」

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マニアックな名盤のCD化実現を祝って、
感謝を刻み、その喜びを
みんなでワッショイ!して炎をたぎらせるコーナー(のグループ編)ドキドキ
「CD化サンキュー・ベリー・ワッショ~イ!」


本日のワッショイ!な1枚は
スタークロストの「Starcrost」である音譜



おお~
コンドルは飛んでいく~

違う違う(・Θ・;)
白鳥は飛んでいく~天使

・・・って、白鳥?
これピンクだけど・・・
ブラック・スワンって聞いたことあるけど、ピンク・スワンっているのかなぁ~?(;´▽`A``

と、滝を背景に、ピンクの白鳥(?)が優雅に飛んでいる
幻想的なジャケが印象的なこの1枚は、
かつて中古市場でレコードが10万円近くした
超絶レア盤としても知られたアルバムであったブタ

この「Starcrost」は、
1976年にテキサス州オースティンの超マイナー弱小レーベル「Fable」から
限定1000枚という少ないプレスしかされなかったものの、
あまりの内容の濃さに後年人気となった1枚だクラッカー

まさにオースティン・パワーズ!(←違う)ブタ


スタークロストは、これまた素性のよくわからない、
ヒゲあり、長髪あり、メガネありの5人のおっさん風お兄さん+1名のうら若き女性
という6人組ジャズ・ファンク・バンドである。
たぶんレーベル所在地のテキサスのローカル・バンドであったのだろうと推測される。

そのサウンドはグルーヴィーでジャジー晴れ
リズム隊とクラビネットとローズが織りなす鮮烈すぎるファンキー・グルーヴ感は、
聴くだけで踊りだしたくなるわんわん
男性ボーカルと女性ボーカルの曲があるのだが、
特に女性ボーカル、リザ・ファロウの歌声が非常に魅惑的で、浮遊感抜群!
近年、レア・グルーヴのムーブメントの中で再評価され、
さらに価値があがったという・・・

曲も「Quicksand」「Catharsis」、またシングルにもなった「I've got a plan」と
粒ぞろいの好盤である。
中でもアルバム1曲目の「False paradise」は、
その熱すぎるグルーヴがなんとも気持ちイイ1曲であるブーケ1



うを~熱い熱い熱い!
これぞグルーヴィー!ラブラブ!
「レア・グルーヴ」という言葉・・・今一つピンと来ていなかったDannaに
強烈にグルーヴ感覚を植え付けた1曲だ。


このアルバム、今も活動しているオリジナルの「Fable」から
2006年にCD化された!さらに何度かリマスター再発されている!
高騰が続いていたレコードは8曲入りだったのだが・・・
実は本来10曲収録予定であったところを収録時間の都合で泣く泣くカットしていたという。
このCDは、カットしたものも全て収録した完全版だ!
ワッショイ!かに座

マニアなレコードもいい音で聴ける、いい時代になったものであるにひひ

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RICK ASTLEY「HOLD ME IN YOUR ARMS」

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ロックやダンス、R&B、ソウル・・・
様々な分野で顕著な活躍をしたアーティストにも必ずある
AORっぽい曲ドキドキ
そんなナイス・メロウな曲を取り上げて
本当はAORアーティストになりたかったんじゃないの?と
無用な詮索をしようというコーナーラブラブ
「アンタ、本当はAOR演りたかったんだろ?」


本日取り上げるメロウ・ソングは
リック・アストレーの「Hold me in your arms」である音譜



以前も取り上げた事のある通り、
リック・アストレーと言えば1987年にダンス・プロデューサー・チーム
ストック・エイトケン・ウォーターマンのプロデュースの元、
ディスコ・ポップス「Never gonna give you up」で彗星の如く現れた
イギリスのポップ系シンガーソングライターであるクラッカー

この人の特徴と言えば、
アイドル然とした顔に似合わぬ野太い声ブタ
これがディスコ・サウンドに妙にマッチして
踊れつつメロウで、しかも郷愁を誘うという
何とも言えない不思議な魅力に満ちていたものだラブラブ!

歌っている音楽は完全にディスコ用のパーティー・ソングなのだが、
どんなにアップテンポにしたところで
歌の手触りとしてはブルー・アイド・ソウルにひひ
そんなアーティストはなかなかおらず、新鮮な驚きをもって受け入れられたのだ。

恐らくリックさん自身も、またSEWの皆さんも最初から気付いていたのだろうが・・・
この声を武器にして、ディスコ・ソング以外にも訴えられるカテゴリー
を提示しようとアルバムの中で模索していた節がある。
それが、ホーンを多用したドロ臭いソウルっぽい曲と
すっきりしたブルー・アイド・ソウル路線だった。

ファースト・アルバム「Whenever you need somebody」では
「It would take a strong.strong man」はホーン全開のダンス・ソウルだったし、
1952年のクラシック・ナンバー「When I fall in love」のカバーなんか
ちょっと狙いすぎの気がしたが、なかなかサマになっていた。

そして、チャート的にファースト・アルバムが大ヒットし、
期待が高まる中で1988年にリリースされたのが
セカンド・アルバム「Hold me in your arms」クラッカー
前作の成功からディスコ路線はそのまま継続しつつ、
もう一歩メロウ・ソウル路線に踏み込んだ感のある1枚であった。

ここでも1966年のテンプテーションズのヒット曲「Ain't proud to peg」をカバーしたり、
「I'll never let you down」「Giving up on love」のように
ディスコ曲にソウル的アプローチをしたものが
バランスよく曲が並んでいた音譜

そして、アルバムの最後を飾ったのが
ブルー・アイド・ソウル系の超絶な名曲「Hold me in your arms」だ晴れ
アルバムから3枚目のシングルとなり、
全英チャート10位のヒットとなったのだった。



う~ん、黄昏る~夜の街

作者はリックさん本人であり、
ディスコでダンスばっかりじゃないですよ~
というようなリックさんの叫びが聞こえてきそうな
絶品ソウルだブーケ1

実際にこの後のリックさんと言えば
セルフ・プロデュースにこだわり、「Cry for help」「Hopelessly」といった
ソウルフルでアダルトな・・・
まさしくAOR路線のようなヒット曲を作っていく。

ストック・エイトケン・ウォーターマンの手によって
華々しくディスコ・ビートで世に出たリックさん・・・
アンタ、本当はAOR演りたかったんだろ?クマ
その太い声とソウルフルな曲のマッチングは
まさにメロウだったよ!にひひ


ペタしてね

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